That familiar scent of tea.

そうして、お茶の景色の記憶は、私をいろんな所に連れてゆく。

ロ シア極東、酷寒の冬に通された居間には、ペチカが赤々と燃え、サモワールが湯気を立てていた。たぶん炭を入れて使うタイプなのだと思う。サモワール自体からも、やわらかな暖気が立ち上る。
そっと手渡された、古ぼけた薔薇の 模様のティー・カップ(まさに共産主義時代的な、その佇まいに私は安堵する。別のお宅でも全く同じ揃いを何度も見かけた。)に、上段のティーポットから濃い紅茶(ロシア語では「黒いお茶」という、ま さに)を注ぎ、下の段から熱いお湯を注いで、ちょうどよい濃さにするのだ。黒すぐりのジャムを舐めながら、奥さんのすすめるプリャーニキを齧る。蜂蜜の味が した。(サハリン/ロシア、2001)

「冷たいものを飲むと、喉が痛くなるからね。」
タシュケントの真夏の気温は、たぶん体温のほうが低いくらいだろう。汗をかきながら、持ち手のない(日本のお煎茶碗のような)小さな湯のみ茶碗から、熱い紅茶(カラ・チョイ)を啜る。不思議と喉の渇きが癒える。青い、綿花の模様のついた磁器。
河 が凍るほど寒い冬には、緑茶(コク・チョイ)に、たっぷりのお砂糖と、あのちょっと甘い香りのするレモンをたっぷり絞ったお茶を飲む。日本人としては、不思議な感 じがするけれども、冬のビタミン源と言われると納得する。風邪をひかないからね。そう言いながら、彼女はいつも私にお茶を作ってくれた。(タシュケント/ウズベキスタン、2007)

目が覚めると、天井をファンがゆっくりと回っている。廊下を掃き掃除する音が聞こえて、ことん、と床に茶の入ったグラスを置く音がそれに続く頃、私はやっとだるい身体をやっと起こす。
熱い、そしてとろりと甘い、花の香りのするジャワのお茶。
今日は何をしようか。ぼんやりとした頭で考える。
旅に出てからもう何日になるのか、忘れてしまった。(ソロ/インドネシア、2000)

手渡されたお茶からは、あたたかく湯気が立ち上っている。受け取ってみると、それは古いガラスののネスカフェの壜だった。茶葉が底の方でゆらゆらと揺れている。
手渡してくれ たその人の姿は、逆光でただの影だ。
ただ、そのつつましやかで凛とした空気だけが、触れられるほどに鮮やかだけれど、あるいはそれは、夢だったのかもしれ ない。(尖沙咀/香港、1997)

登校前、地下鉄に飛び乗る前に小さなスタンドで買う、熱い紅茶。
Do you like the colour? 小ぶりのプラスチックのカップの、ふちぎりぎりまでのつめたい牛乳を注ぎながら、ふとっちょの店主が尋ねる。Lovely. 私はコインを手渡す。20P 、ほんの数十円。
イギリ スに来たというのに、たまにお呼ばれする正式なハイ・ティーよりも、瀟洒なホテルのラウンジでいただくアフタヌーンティーよりも、日常のこの安っぽいティーバッグの濃いミルクティーが、何より私の気に入った。そして今恋しいのも、その香り、あの味。(ロンドン/英国、1998)

暗い冬だった。
「街」のどこからでも、「城」が見えた。部屋の集中暖房は、もう5日も切れたままだ。家の中で厚手の外套を着こみ、手袋をして、英語の論文を読み、チェコ語の活用を覚え、合間に楽しみでロシア語の小説を読む。ふと、時々、不安がやってきた。ひたひたと満潮のように。柔らかく押し寄せて私を蝕む。
すると私は、地元のスーパーマーケットの安っぽいティーバッグで、熱い茶を淹れる。そこにとくとくと注ぐのは、ベヘロフカ。アブサンに似た、この国の薬草のリキュール。幻覚作用を起こすニガヨモギの近似種は、ロシア語ではチェルノブイリニク (Чернобыльнык) と呼ぶ、たしかそう書き留めた。あの頃のメモには、世紀末の気配と、薬草臭く、甘くて濃い茶の味がくっきりと鮮烈に残っている。(プラハ/チェコ、1999)

「風邪をひいたんだって?」
私のタンザニアの姉さんと、ケニアの姉さんが、大きな魔法瓶を抱えて、私の部屋のドアをノックする。
アフリカではね、ミルクとお砂糖の入っていないお茶なんて、侘びしくてお客さんには絶対出さないよ。
とにこにこ語りながら、ケニア姉さんはポットから(すでにミルクとお砂糖がたっぷりはいったお茶を)私のマグになみなみと注いでくれる。タンザニア姉さんは、あたたまるからね、と言って(ウィンク)、マグの茶に生姜を足してくれる。
そこに、タンクに入ったピーナッツバター(ウガンダから持ってきた)を抱えてウガンダの兄さん登場。みんなでオランダのパンにウガンダのピーナッツバターをたっぷりと塗り、もぐもぐ食べる。
なんともしあわせであたたかなお見舞い。(ハーグ/オランダ、2004)

「困ったことがあれば、ママ・エヴァに相談するといいさ。」
キガリ最大のキミロンコ市場(イソコ)で、長いこと中古のカーテンを商っているママ・エヴァは、あの虐殺の時、ウガンダに逃げた。だから、その後のママ・エヴァの会話には、英語が加わることとなる。
ある日、慣れないフランス語と(もっと慣れないルワンダ語)で四苦八苦していた私の手を引いて、みんなが紹介してくれたのがママ・エヴァ。彼女はそれから、私の相談役、指南役、そしてビッグ・シスター。
市場の一角のティーサロン(かろうじてテーブルと椅子はある程度)が出すお茶は、甘い甘いレモングラスのお茶(イチャイ)。それは、茶葉よりも圧倒的に安価ゆえ(レモングラスはちょっと植えておくと巨大な茂みになるのだ、この国では)。高価な紅茶はもっぱら輸出用ということ。
ママ・エヴァとおしゃべりしながら飲んだ、そんなレモングラスのお茶。
帰り際、店の女の子に私がそっとくしゃくしゃの小額紙幣を差し出しても、ママ・エヴァははっはと笑ってそれを押し戻す。(キガリ/ルワンダ、2010)

それから。トルコのバザールで飲んだ、林檎のお茶。パリのモスクで飲んだ、ミント・ティー。香港の鴛鴦茶(コーヒーと半々で割ってある)。タイの道端で地面に敷いたござの上で飲むコンデンスミルクを入れた甘いミルクティー。

どれもその時の、お茶に口をつけた時の空気が記憶に残っていて、香りのようにふわっと立ち上る。

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